ローマ トータルウォー

2008年8月24日 (日)

「ローマ トータルウォー」 キャンペーン日記(その1)

先日の、「メディーバル2:total war」 と同時に購入した 「ローマ:total war」。

どちらのキャンペーンを先にやろうか迷ったが、とりあえずメディーバル2の前作にあたるこの「ローマ total war」のキャンペーンからやってみようと思う。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

選んだ勢力は、ローマのユリウス家。実は、古代ローマの歴史は全く知らないけど、”ユリウス・カエサル”の名前ぐらいの知識はあるので、この一家を選択した。

キャンペーンを開始すると、1ターン目からいきなり「セジェスタの村を攻めろ」と元老院から命令が下る (普通こういうのは内政からじゃないのか・・・)。とはいえ、初期兵装でも十分強いローマ軍なので簡単に占領することができた。その後も、次々に元老院から命令が下り、その度、都市を占領していく。

 さてさて・・・

これまで、ガリアへの侵攻を繰り返していたローマだが、今度は一転して「ダキアを攻めてこい」と言われたので、軍を編成することに。。。(主力の軍はみなガリア方面に駐屯しているため、足りない兵は傭兵で補おう。ぐはぁ、このターンは大赤字)。

準備が完了し、ダキア領内「イウヴァヴム」(舌噛みそう)に侵攻を開始。兵力差は敵の5倍以上であるため余裕である。ただし、この地の領主はダキアの指導者”スキュレス”であり、軍団統率力の星が6つも!!一方、我がローマの将軍”アムリウス”は星1つ・・・(なさけないねぇ~)。

戦闘開始後、難なく門を突破。広場まで軍を進めることができた。一度、広場手前で陣形を組み直す。組んだ陣形の形は「正方形」。前列3部隊のハスタティ(軽歩兵)に厚みのある隊形をとらせる。これで、少々の突撃でも突破はされまい・・・。

陣を組みなおした後はローマ弓兵の射撃により、戦いの火蓋が再び切られた!敵の総大将”スキュレス”の重騎兵が突撃してくる!!

 

Rome1_1 強烈な突撃で、歩兵の陣形が・・・!。思った以上に”スキュレス”の突撃は強烈だった!陣形が崩れると周りの部隊にも士気が影響するため、ここは耐えてくれ~。

 

 

とはいえ、 ”スキュレス”の部隊はわずか80人で、こちらは800人(残り800人は敵の背後を突くため迂回中)。ウェリテス(散兵)の援護射撃もあり、指導者”スキュレス”を討ち取った。「敵ながら見事な最後!」。大将さえいなくなれば勝利も同然。ここで、敵の残党に一斉突撃!別働隊800人も到着し、「ローマ!ビクトリー!!」の瞬間だ。

戦後、領地の詳細を見て人口の少ないことにビックリ(たったの400人)。これではこの地での徴兵ができず、戦線を維持できない。うーむ、ローマ市民をこの地に大移動させますか。。。

(・・・続く)

|

2008年8月25日 (月)

「ローマ トータルウォー」 キャンペーン日記(その2)

さて、ダキア領「イウヴァヴム」を占領し、約2000人のローマ市民の移住も無事完了した。先代からその息子”ルキウス”までにかかった年数は10年。この間に4つの州を占領したことになる。

さて、元老院からの無茶振りはあいかわらずで、さっそく「アンクインクム」を攻めろときた。。。ここいらで本当に内政がしたいので、完全に無視。

B.C. 247年 スペインと交易開始

B.C. 246年 エジプトと交易開始

B.C. 243年 ダキアと停戦、ブリタニアと同盟、上位兵種プリンキペス(重歩兵)の開発

B.C. 242年 ギリシャと交易開始

 

Rome2_2そうこうしてるうちに、かなり財政にもゆとりができたので、政策を一転し、ダキアの領地「アンクインクム」を攻撃。新戦力プリンキペスの活躍もあり、難なく勝利を収める。

 

 

勢力を着実に広げているローマ(ユリウス家)。ブルートゥス家では、マケドニア・ギリシャのあたりを攻めているが苦戦続きのようだ。映画「300」や「アレキサンダー」で登場するスパルタ兵やファランクス部隊は、このギリシャ・マケドニアで登場するのかな?

スキピオ家は順調にアフリカ大陸を攻めて、B.C. 236年にカルタゴ滅ぼしちゃいました。 名将軍”ハンニバル”で知られ、史実ではカルタゴはかなりの強力な勢力だった気がするのですが。。。?今ローマ内で一番の影響力を持つのはこのスキピオ家かも。

(・・・続く)

|

2008年8月30日 (土)

「ローマ トータルウォー」 キャンペーン日記(その3)

いよいよダキアとの抗争が激化。

ここで一気に畳みかけようと、ユリウス家2代目”ルキウス・ユリウス”自らが軍を率いて、ダキア領「セゲスティカ」を包囲する。”ルキウス”率いるローマ軍は2000人、一方のダキア軍も2000人であり、軍団の規模は互角。だが、兵士の質を考えると余裕のはずだ(このときの油断が後の命取りになるとは・・・

戦闘が開始し、まずは破城槌で木の壁を破壊。崩した壁から部隊を続々と投入し、徐々に敵を街の中心へと圧してゆく。もはや勝利は間違いない。後はこちらの損害をいかに抑えるかだ。

Rome3_6 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・と、ここで思わぬ抵抗を受け、大乱戦の中、指導者”ルキウス”が戦死!!!なんたること!!こんな安っぽい蛮族との戦いで果ててしまうとは!! もちろん戦には勝利したが、後味の悪い結果となってしまった。

後を引き継いだのが、”ユリウス”の長男である”デキウス”。指導者にしては悲しいほど平凡な能力。しかも、この”デキウス”には子供がいない。まさかと思い能力欄をみてみると・・・、「実りなきもの」という能力が着いていた(;д;)。

(・・・続く) 

|

2008年8月31日 (日)

「ローマ トータルウォー」 キャンペーン日記(その4)

いつものようにローマ市民を占領したばかりの「セゲスティカ」に移住させ、町に活気が戻る。ダキアとも小康状態が続き、戦のない平和 が訪れた・・・と思ったのも束の間。

Rome4_1 文明国ギリシャが突然「属国せよ」と脅しをかけてくる!!こちらに何も落ち度は無いはず・・・、よって、この理不尽な要求をきっぱり拒否。すると、案の定、ギリシャの大軍が「セゲスティカ」を包囲してきた。B.C.230年、ローマ軍1900人、ギリシャ軍2700人の攻城戦が勃発。これまでの蛮族とは違い、兵の質はほぼ互角だ。

 

勝てるか分からない勝負だったが、何とか撃退・・・。ただ、こちらも軍隊もほぼ壊滅状態となってしまったdash。他のローマ都市から兵を「セゲスティカ」へ集結させ、早急に軍を立て直さねばならない。しかし、負けじとギリシャも次々と大軍を差し向けてくる。

B.C.224年、ギリシャとの第2回戦はローマ軍2000人、 ギリシャ軍2800人と相変わらず数で圧倒される。ハスタティ部隊が一時苦戦したが、プリンキペスが頑張ってくれたので辛くも勝利。しかし、この戦いで一族の”マルクス・ユリウス”が討ち死に、「英雄的な最後」を遂げてしまった・・・。

Rome4_5  

 

 

 

 

 

 

 

 

ギリシャの猛攻は終わりそうに無く、B.C.222年、第3回戦(ローマ軍1300人、ギリシャ軍2000人)が勃発。しかし、我らローマ軍は丘に陣形を構えており、地の利はこちらにある。さあ、ローマの大盾とギリシャの長槍、どちらが強いか今日こそ決着をつけようではないか。

Rome4_4_2ギリシャ兵のファランクス陣形の最大の欠点はその進軍速度の遅さにある。丘を登る間、ローマ兵の「矢」と「槍」を受け続たギリシャ兵の士気は一気に下がる。依然、ローマ兵の士気は「丘の上にいる安堵感」のため高い。

 

これを好機と判断し、プリンキペスに逆落としを命じる。ギリシャ軍のファランクス陣形は徐々に崩れ始め、勝利の女神はローマ軍に微笑んだ。これにてローマの勝利だ。

 

先の戦いでは、ローマ軍の被害が少なくすんだこともあり、勢いそのままにダキアの領地「サロナ」へ侵攻を開始。・・・というのも、ダキアとギリシャは同盟を結んでおり、双方から攻められてはさすがに手が回らないため、ここは先手を打つ。

Rome4_7 B.C.220年 「サロナ」包囲、ローマ軍2500人、ダキア軍3000人の戦いが始まる。この戦いで、投石のオナガー部隊を初投入した。戦闘開始直後、敵からの攻撃が届かない遥か遠方から一方的に投石!吹き飛ぶ兵士、崩れ落ちる建物。敵にかなりの死傷者がでたところで、街の中へ突入。

 

それでもまだ2500人近くが残っているが、ギリシャ兵に比べれば全く怖くは無い。結局、3000人いたダキア軍も生き残った者はわずか60人となり、かなりの大打撃を与えることができた。

(・・・続く)

|

2008年9月 1日 (月)

「ローマ トータルウォー」 キャンペーン日記(その5)

Rome5_1_1

 

 

 

 

 

待ちかねたぜ!テストゥード隊形!!

ギリシャとダキアの抗争が続く中、軍備の改革(?)イベントが発生。飛躍的にローマの軍事力がアップした。このイベントでハスタティ、プリンキペスの代わりに、「ローマ歩兵、近衛大隊歩兵」を生産できるようになる。攻撃力、防御力は上昇し、さらにはテストゥード隊形も組むことが可能。

この隊形では、敵の飛び道具をほぼ無効化できる(ただ、使用中は兵士の体力が激減するので使い所が難しい。。。)。 新旧交代!プリンキペスを解散させ、ローマ歩兵を生産。強くなった新生ローマ軍でダキアの領地を次々に攻め落とす。ダキアの領地はついに残り一つとなったが、かなり北方(ポーランドあたり?)にあるため、ここらで侵攻を中断。ギリシャを標的として東へ転進する。

B.C.204年。ギリシャ領地内の草原にて、進軍中のローマ軍とギリシャ軍が激突(ローマ軍2200人、ギリシャ軍2500人)。この戦いに勝利すれば、ギリシャは軍を立て直すまで時間がかかるはずだ。以前なら苦戦していたギリシャ軍だが、改革以後、もはや敵ではない。この戦いにも勝利し、勢いそのままギリシャ領地「ビラゾラ」を奪う。

   まだまだ・・・

Rome6_2B.C.199年、「テュリス」へ侵攻。「テュリスの戦い」が勃発する。この領地は高い塀に囲まれているため、初となる攻城塔を使った戦闘となった。攻城塔の3つのうち1つは敵の飛び道具により破壊されてしまったが、残り2つは無事に塀まで到達。しかし、ギリシャ兵の攻撃はすさまじく、塀の上から容赦のない槍の雨が降り注ぐ!!バタバタ味方が死んでゆく中、急いで攻城塔の中へ。(こんな時こそのテストゥード隊形なのだが行動が遅いし、どうせ疲れるなら、走らせたほうが楽だ。意外と使えないかも。。。)

城壁を守備していたのはギリシャの散兵であったため、接近戦となる城壁ではローマ軍の近衛大隊歩兵の方が圧倒的に有利。「うわぁぁぁぁぁぁーーー!!!」次々と塀から落下して粉砕するギリシャ兵。

付近のギリシャ兵を殲滅し、門と周辺の櫓は占拠した。これで城に立て篭もるギリシャ軍は残り800人。

 

Rome6_6 門を内側から開け、城外にいた部隊を入城させる。あとは残党狩りをしながら、中央広場を制圧。。。。ローマの勝利で決着がついた。

ギリシャ軍1800人は全滅。一方のローマ軍も、2100人のうち700人も討ち取られ被害が大きかったが、この勝利の価値は非常に高い。意気消沈したギリシャの滅亡もそう遠くはない。。。かも

(・・・続く)

|

2008年9月 6日 (土)

「ローマ トータルウォー」 キャンペーン日記(その6)

B.C.199 「テュリス」を陥落させ、同年、北にある「ゲタイ駐屯地」も占領。これで、東は黒海沿岸まで勢力を広げた。。。。とここで、さすがにマズイと感じたのか、ギリシャの外交官がやってきて停戦を要求してくる。

ギリシャ「停戦してやるから、ビラゾラテュリスゲタイ駐屯地を返還しろ!そんでもって、慰謝料として我々に金30000を払え!」

なんと傲慢な!あきらかに負けてる側の言う台詞じゃない。もちのろんで「停戦以外は嫌!」とキッパリ拒否。すると、

ギリシャ「じゃあ、金8000でいい。それで停戦してやる。」

と妥協してきた。うーん、まぁこれならいいか。(・・・って、なんでローマ側が金払うんじゃー!)

B.C.198年。何だかんだで、ギリシャと停戦協定を結ぶ。東への遠征はここで一先ずストップしておこう。敵をダキアに絞り、ギリシャ軍との激戦を勝ち抜いた精鋭部隊を(部隊には経験値があり、戦闘を重ねる度に強くなってゆく)、北方にある最後のダキア領地「ウィクス・ヴェネダエ」へ差し向ける。

B.C.191年、ダキア滅亡。最後は哀れなほど一方的な戦いとなった。

とにかく、およそ半世紀続いたダキアとの抗争にようやく終止符が打たれた。あと残る蛮族は、スキタイ、スペイン、ゲルマニア、ガリア、ブリタニア・・・。「やれやれ、あと何年かかることやら。。。」

(・・・続く)

|

2008年9月 7日 (日)

「ローマ トータルウォー」 キャンペーン日記(その7)

Rome7_1ここまで 東へ東へ遠征を繰り返し、ギリシャを退け、ダキアを滅ぼしてきた。B.C.188年。この勢いのままスキタイ領「シシ駐屯地」に侵攻する。また、これまで内政しかしてこなかった領地の西側都市においても、スペイン遠征の準備を開始。これからは西への遠征も同時に行うことになった。(でないと時間がかかりすぎるので・・・)

 

Rome7_2  

 

 

 

 

 

 

 

 

スキタイ領「シシ駐屯地」は「ゲタイ駐屯地」の北にあり、ギリシャを撃退した軍で侵攻。マニュアル通り、まずは門を衝車で破壊、弓隊で牽制した後、歩兵を前進させる。

門の中に徐々に切り込んでゆくローマ歩兵。門を占領すると、敵は撤退を始めた。楽勝かと思いきや、スキタイ軍に精鋭弓隊がいたため、以外にも苦戦を強いられてしまう・・・。結局この戦いは、ローマ軍の死者300人、スキタイ軍1400人は全滅で幕を閉じ、ローマの勝利となった。

 

 

Rome7_3一方、ローマ領の西側でも、スペイン遠征軍の準備が完了したため、まずはスペイン領「マッシリア」を目指す。 B.C.186年、「マッシリアの戦い」が始まる。1800人のローマ軍を率いるは憂鬱者”アシニウス”(内政ばかりしていたからか、変なあだ名がつけられてしまった)。

圧倒的な兵士数の差もあり、「マッシリア」は簡単に陥落。。。だが占領後、なんと疫病が発生。次々とエリート部隊である”近衛大隊歩兵”、”近衛騎兵”が死んでゆく (こやつらはレベルの高い都市でしか補充できないのにぃ~!)

200人、また200人と、毎ターン兵たちがお亡くなりになる中、「マッシリアを奪還せん!」と約2000人のスペイン軍がやってきた!何もこんなときに来なくとも・・・。

篭城では「マッシリア」は持たないと判断したため、兵を一部残して出陣し、「マッシリア」近郊にある河川の前で布陣した(この有利な地形を利用しない手はない!)。

Rome7_5  

 

 

 

 

 

 

 

 

B.C.185年。ローマ軍2000人vsスペイン軍2000人の戦いが勃発。

開始後すぐに、スペイン軍が橋を渡リ始める。これを待ってましたとばかりに、ローマ弓兵300人が一斉射撃(火矢)、あ~んど、オナガー部隊が投石を開始!Rome7_7

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第2撃目、3撃目・・・・っと、強烈な投石がローマ近衛騎兵の背中に命中!?。。。

「って、ばかもーーーん!!味方に当ててどうする

敵を狙うのだぁーーヾ(.;.;゚Д゚)ノ」。

味方に対して次々と命中する投石。どうやら配置場所を間違えたようだ。。。ここで、投石攻撃を中止。しかし今度は、ローマ弓兵の放った火矢を見た味方の馬がおびえ始める。おーい!頼むから自滅だけはやめて orz

・・・とはいえ、地の利は圧倒的に有利なため、次々とスペイン兵を討ち取っていく。結局、橋や川は敵兵の死体で埋め尽くされ、スペイン軍2000人は全滅した。大勝利で「マッシリア」に凱旋するも、「マッシリア」の疫病は続く。早く援軍を出さねば。。。

(・・・続く)

|

2008年9月13日 (土)

「ローマ トータルウォー」 キャンペーン日記(その8)

B.C.183。

マッシリア」から出陣した”アシニウス”率いる1700人のローマ軍、「マッシリア」から西のスペイン領「ナルポ・マルティウス」へ進行する途中、待ち構えていたスペイン軍と遭遇する。敵は1700人と同規模だが、1000人規模の援軍が駆けつける模様。。。よって、こちらも急遽、現地の安い蛮族兵1000人を金で雇う。

 Cocolog_oekaki_2008_09_13_11_20

敵の援軍は横から進軍してくるため、いつものように正面に陣形を構えてしまえば、横腹を突かれて総崩れになるだろう。。。フッフッフ( ̄ー+ ̄)。ゲーム開始当初の俺なら気づかなかったが(いやいや、ふつー気付くでしょ)。とにかく丘の上で凸型に陣形を構えることにする。これで、正面だけでなく斜めからの攻撃も防げる。

 

勝利までのシナリオはこうだ。

Rome8_1

Cocolog_oekaki_2008_09_13_11_56

この凸型陣形は、蛮族歩兵1000人を陣形から前方に離して配置するのがポイント。その後方にローマ弓兵500人、ローマ歩兵900人という順で配置し、最後に、左翼にローマ騎兵、蛮族騎兵300人を配置させ完了。

この作戦では、蛮族歩兵を盾として利用する。蛮族歩兵がスペイン軍の進軍を食い止めている間に、ローマ弓兵で敵兵を射すのだ(つまり、射撃のため距離をあけて配置している)。このとき、乱戦状態となっているため味方の蛮族歩兵にも矢が当たってしまうが、これも作戦の内。よって、双方がボロボロになったところで、左翼の騎兵による一斉突撃で決着をつける戦略だ。(ローマ正規軍の損害は出さす、はじめから蛮族歩兵を捨て駒とした外道戦略だが・・・w

 

さて、実際にやってみるとうまくいくかどうか。。。 Rome8_2Rome8_3

 

 

 

 

 

結果は、思った以上に矢の軌道が高く(丘の上から放っているから?)、味方の蛮族にはあまり当たらなかった(いや、当たらないほうがいいんだけどw)。だが戦況はだいたい思い描いたとおりになった。蛮族に食い止められて、進軍が止まったところを矢に射られバタバタ死んでゆくスペイン兵。敵に横腹を突かせないように布陣したのも、この弓攻撃を前方に集中させたかったためだ。そして、最後は騎兵の突撃がトドメの一撃となり、スペイン軍は完全に壊滅した。

Rome8_4  

 

 

 

 

 

B.C.183。スペイン兵を撃退した”アシニウス”率いる遠征軍は、領地「ナルポ・マルティウス」を占領することに成功した。西側のスペイン遠征は順調・・・、さて東側のスキタイ遠征はどうだか・・・

(・・・続く)

|

2008年9月14日 (日)

「ローマ トータルウォー」 キャンペーン日記(その9)

西側のスペイン遠征(憂鬱者”アシニウス”が統率)は順調。さて、東のスキタイ遠征(勇者”クインティス”が統率)の方はどうなのか・・・?

Rome8_5B.C.181。スキタイの首都「タナイス」を攻撃。「シシ駐屯地」を攻めたときにも感じたのだが、どうやらスキタイは弓を得意とする勢力のようだ。相手は弓兵や弓騎兵だけで構成されるわずか900人なのだが、篭城されての弓部隊ほどど嫌なものはない・・・。

 

野戦ならば、射撃準備をしている間に突撃で一気に蹴散らせることができるが、篭城戦では騎兵の突撃は使えないし、門を壊している間や、動きにくい砦の中を動いている間、常に矢で射られることになるからだ・・・。

Rome8_6

実際、スキタイ軍は次々と弓を射てくる!ローマ軍に被害が出始めたため、ここは、テストゥード隊形で砦の中を進むことにした。

 

 

Rome8_7キンッ!キンッ!と矢が盾によって弾かれる。どうやら敵の矢を無効化しているようだ。これで敵の前までほぼ無傷で進め・・・・・・・・こ、この状態でどうやって攻撃すればいいんだ・・・。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。 わー、テストゥードでは攻撃できません。

 

結局、テストゥード隊形を解除・・・。その途端、敵の大量の矢に射られ、ローマ兵が次々倒れていく (やっぱこうなる運命なのねw)。スキタイ軍は全員が弓部隊!!特に、弓騎兵なんぞは、近寄っていっても逃げられる始末(歩兵じゃ馬に追いつかない・・・)。

この「タナイスの戦い」では、なんとかローマ軍の勝利で終わることができたものの、被害がかなり出てしまったのも事実。(ただ、増援部隊を送っていたので、すぐに立て直すことはできたが

Rome8_8  

 

 

 

 

 

 

 

 

B.C.180。苦労して奪った「タナイス」だが、たった1年で、スキタイ住民の反乱により、あっけなく追い出されてしまった。しかも、「タナイス」にはスキタイ軍が復活!!この鬱憤を別のところではらしつつ(B.C.180。黒海沿岸の村「ケルソネソス」占領)、再度、「タナイス」侵攻のため、軍を再編することとなった。

(・・・まだ・・・続くのか?)

|

2008年9月15日 (月)

「ローマ トータルウォー」 キャンペーン日記(その10)

B.C.176。勇者”クインティス”率いるローマ軍1800人は、スキタイ領「タナイス」へ再侵攻。対して、立て篭もるスキタイ軍は1600人。しかし、新たに増援として投入した10台もの投石機により、あっけなく「タナイス」は陥落。これにより反乱分子の根絶やしに成功。

Rome9_5 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう許しはしない。占領後、略奪、破壊の限りを尽くし、住民4000人を処刑した。これはローマに楯突く者の末路である。

スキタイ遠征は続く。B.C.170。”ウァレリウス セクストゥス”率いるローマ軍1800人がスキタイ領「サルマタエ駐屯地」占領。

Rome9_20

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに、B.C.166。黒海を超え、はるか遠くカスピ海沿岸の町であるスキタイ領「アラニ駐屯地」へ侵攻。ローマ軍1700人とスキタイ軍1100人との戦闘が開始。オナガー部隊の圧倒的な破壊力と長距離射程の前に、スキタイ軍の弓では成す術なし。

さて、一方のスペイン遠征だが、B.C.176、憂鬱者”アシニウス”はローマ軍2100人を引きつれて、ピレネー山脈を超え、スペイン領「オスカ」へ侵攻する。1000人のスペイン軍を殲滅し、この地を占領。しかし志半ば、”アシニウス”は、寿命により異郷の地「オスカ」で没してしまった(結構お気に入りだったのだが・・・)。

10年が過ぎ、B.C.167。”アシニウス”の死後、彼の意思を引き継いだ”ティベリウス トゥラニウス”がスペイン領「レモヌム」を占領。同年。スペイン本土のイベリア半島に侵攻するため、”カイウス セルウィリアヌス”率いる2200人のローマ軍がスペイン領「ヌマンティア」へ向け進軍を開始。

だが途中、スペイン軍1500人が、行く手は阻む。

Rome9_15  

 

 

 

 

 

 

 

 

ローマ歩兵”同様に突撃前に槍を投げてくる”スクタリ”や、イスパニア特有の”丸盾騎兵”等はなかなかの強敵。しかし一騎当千なぞ無関係、戦略こそが物を言うトータルウォー。

Cocolog_oekaki_2008_09_25_19_24

右翼に展開していた精鋭”ローマ近衛大隊歩兵”の圧倒的な強さを活かし、前方の敵をあっさり撃破!敵陣左翼は壊走を始めたが、これを追走するのではなく、そのまま敵(敵陣右翼)を包み込むように背後へ向かう。残りの部隊もこれに続き、半包囲攻撃に成功する。この戦いで失ったローマ兵はわずか200人。この翌年、”カイウス セルウィリアヌス”は「ヌマンティア」を占領。

これまでに25の都市を占領。ゲームもそろそろ中盤で、開始から120年が経過し、残る年数は160年となった。それまでに50の都市を制覇すればキャンペーンはクリア。あと半分

(・・・まだ・・・続くのか)

|

2008年9月19日 (金)

「ローマ トータルウォー」 キャンペーン日記(その11)

Rome9_23さて、 ダキア領「アラニ駐屯地」を制したあと、マップの一番右上にあるパルパティア領「サカエ駐屯地」をめざす。

B.C.160.パルパティアに宣戦布告し、「サカエ駐屯地」へ侵攻。ローマ軍2000人、パルパティア軍400人の功城戦となった。ここは、はるか東の異郷の地であり、これまで見たこともない兵士や町が・・・。

とりあえずいつもの様に、大量のオナガー部隊で町を破壊しながら敵の兵士数を削る。残り100人となったところで、歩兵部隊を投入。その後、第2・第3とローマ歩兵を次々と投入し、町の中心部へ迫る。がしかし!、ここでパルパティア軍精鋭のカタフラクト部隊100人が突撃をしかけてくる!だだっ広い平野ならば、たった100人の騎兵など包囲してしまえば仕舞いだが、ここは、狭い町の通路。兵士数の差は関係ない。わずか100人の騎兵のために、どんどん町の外へ圧し戻されるローマ歩兵。4つの歩兵部隊うちの1部隊は完全に敗走してしまった。

とにもかくにも、 B.C.160。パルパティア滅亡。ようやくマップの端まで到達することができた。これより遠征軍を南下させる。(B.C.158。南下途中、黒海の東海岸、アルメニア領「コタイス」に入る。そして、アルメニア軍との戦いに勝ち「コタイス」を占領、アルメニアは滅亡した

 

Rome10_5B.C.153年。準備が完了し、「コタイス」から東に位置する、 「プラスパ」へ向け出陣。ここには、最後のスキタイ軍500人が立て篭もっており、ローマ軍2000人が猛攻を仕掛ける。まさに「ラスト サムライ」ならぬ、「ラスト スキタイ」。圧倒的な火力を前に、スキタイは滅びた・・・

さて、目標であったスキタイも滅ぼし、東は一通り遠征終了。残るは、西のスペインと北のゲルマニア、ガリア、ブリタニアのみ。

(・・・続かせる・・・)

|

2008年9月21日 (日)

「ローマ トータルウォー」 キャンペーン日記(その12)

Rome12_2

B.C.149、ゲルマニアとローマ、お互い国境を侵すことなく、すでに1世紀以上が経過している(特に同盟を結んでいるわけでもない)。だが、東の遠征に決着が付いたこともあり、北のゲルマニア領「ウィクス・マルコマンニ」へ進軍を開始。ついにローマ軍が国境を侵す。

 

ローマの将は”ユリアヌス・アフェル”。1700人のローマ軍を率いての進軍だ。不意打ちだったこともあり、砦にはわずか200人のゲルマニア兵。猛攻を受けたゲルマニア兵はあっさり消滅する。(ゲルマニア軍には、初の女性ユニット(叫ぶ女)が参戦!

 

続いて、B.C.149、「マッシリア」からゲルマニア領「ルグドゥヌム」へ向け進軍。ローマ軍1800人、ゲルマニア軍3000人の戦いとなった。・・・・!? ゲルマニア兵をよく見てみると、なんとファランクス隊形!? ざわ・・・ ざわ・・・)。3000人の蛮族が隊列を組み、規律よく進軍してくるではないかぁ!ものすごく違和感が・・・。

よく分からんが、ファランクスといえば、とにかくローマ弓兵の出番である。面白いほどにバタバタ倒れていくゲルマニア兵。矢が玉切れになったとき、ゲルマニア兵はほぼ壊滅状態となり、勝負は決した。B.C.146、この勢いで「ダム」の占領にも成功する。

 

B.C.145。ゲルマニア領最果ての「ドムス・ドゥルキス・ドムス」(変な名前)へ侵攻。 ローマ軍1400人、ゲルマニア軍2800人の戦いとなる。敵の主力は、いつもながら偽ファランクス。これはもうゲルマニアというよりもギリシャと戦っているみたい。ゲーム開始以降、全く負けたことが無かったのだが、とうとう敗戦の味を味わってしまった。ドムスへ侵攻したローマ軍1400人は全滅。敗因は「弓兵を連れて行かなかった」こと。やはり、歩兵同士の戦いではファランクス隊形の方が有利だ。

 

B.C.143、軍を新たに結成し、さきほどの雪辱を晴らすため、「ドムス」へ再侵攻。前回の反省を活かし、今度は大量の弓兵部隊を投入。散々に敵を打ちのめすことができた。

(・・・もう少し続く)

|

2008年9月22日 (月)

「ローマ トータルウォー」 キャンペーン日記(その13)

暴動、暴動暴動。ここ最近、ローマ領の東や西の各地で暴動が頻発する。壊される建物、暴動鎮圧のため死ぬ兵士。このため、被害復旧のため費やす金は莫大な支出となって財政を圧迫し始めた(ほとんどの都市では暴動の回避策のためにと、税金を最低まで下げ、闘技会を毎日開いている)。このままでは財政がかなりヤバイことになり、もはや遠征どころの騒ぎではない。まずは内政をしっかりしないと・・・。暴動が頻発しているスペイン領内でも、B.C.149年に「コルトバ」を落として以降、遠征を一時中断し、内政に注力させている。

 

それから約13年が経過・・・。

 

一向に暴動が落ち着く気配が感じられないが、この10年で少しずつ徴兵した新しい一個中隊が完成したので、再び侵攻を開始する。

B.C.136。スペイン領「スカラビス」を占領。

B.C.132。ゲルマニア領「ウィクス・ゴート」を占領。

B.C.131。スペイン領「アストゥリカ」を占領。

Rome_map  

 

 

 

 

 

 

 

破竹の勢いで攻め続け、とうとうイベリア半島を制覇した。ここで西への侵攻は終わりとなる。赤(ユリウス家)、緑(ブルトゥス家)、青(スキピオ家)とローマ勢が、いまやヨーロッパ・中東・エジプト地中海沿岸全土を制しつつある。

(・・・そろそろ最終章)

|

2008年9月26日 (金)

「ローマ トータルウォー」 キャンペーン日記(その14)

Rome14_0  

 

 

 

 

  

 

 

B.C.130。北伐軍はゲルマニア領「ボルデスホルム」を占領。先の「ウィクス・ゴート」が陥落してからというもの、ゲルマニアの勢いはすっかり無くなってしまったようだ・・・。

B.C.125、とうとう最後のゲルマニア領「バタヴォドゥラム」へ侵攻する(ローマ軍1970人 vs ゲルマニア軍1240人)。ゲルマニアに引導を渡したのは、「ローマ」最強の将”ヘレニウス アンナエウス”(★5つ)。最後はあっけなく滅亡したゲルマニアだが、唯一ローマ軍に土をつけたのは、この勢力だけである。

  

さて、標的の勢力も消え、B.C.122、新たな敵を求めブリタニアに対し宣戦布告する。長年、目の上のコブであったブリタニア領「モゴンティアクム」を急襲した。「モゴンティアクム」へ向かわせたのは、ゲルマニアを滅ぼした”ヘレニウス アンナエウス”率いる1850人の北伐軍である。

  Rome14_1 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここでようやく初登場となったチャリオット「鎌付き戦車」(ブリタニア軍の主力)。

門付近の敵にとらわれ過ぎて、敵戦車の突撃を許してしまったローマ歩兵。一時、次々と戦車の鎌の餌食となるが、砦の外で待機していた1000人のローマ弓兵が戦車部隊に向けて一斉射撃!大量の矢が降り注ぎ、鎌付き戦車は壊滅状態となった。戦車さえいなくなれば、後は余裕である。これで、ブリタニア領「モゴンティアクム」の占領に成功。

 

Rome14_5_2ようやく、地理的に邪魔な存在であったブリタニアをガリア地方から排除。その2年後のB.C.120には、その「モゴンティアクム」領内を通り抜け、街の西にある川を渡り、スペイン領「トリール」へ侵攻する。2倍近い兵力差(ローマ軍2400人 vs スペイン軍1400人)もあり、余裕の勝利となった。

こうして「トリール」も難なく占領。残るスペイン領は2つとなった。さぁ、もう逃げ場は無いぞ!

 

・・・と、その前に、残る1つとなっているガリアをさっさと滅亡させてしまおう。B.C.116、「トリール」のさらに西にある「アレシア」へ侵攻を開始。ローマ軍3000人を率いるは”セクンドゥス”。一方の、ガリア1700人の大将は”ティンコンミウス”。

Rome14_6

 

 

        こ、これは”変人”vs”賭博者・・・。

能力を詳しく見てみると、この変人隊長のせいで、全軍の士気がマイナス3となってしまっている。大丈夫だろうか・・・。

Rome14_7_2 

 

 

 

 

 

 

マイナス3のせいか?ローマ軍にもそれなりの損害はあったが、激戦の末、なんとかこの戦いに勝利。ガリアを滅亡させた。とうとう残るはスペインとブリタニアのみ

(・・・次でラストか?)

|

2008年9月27日 (土)

「ローマ トータルウォー」 キャンペーン日記(その15)

現在、スペインを征服している最中だが、ここで一旦、東へ目を向ける。東ではスキタイ、アルメニアを滅ぼしてから約40年間、軍事そっちのけで内政を充実させてきたが、ついに、B.C.114、アラビア半島の北に位置する街「アルサキア」へ侵攻を開始した。(ローマ軍2100人、エジプト軍720人の戦い

Rome15_1 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アルサキア」は高い外壁に囲まれた街で、ここを陥落させるにはそれなりの攻城兵器が必要であったため、14台のオナガーに加え1台の破城槌を用意させる。戦闘が始まると同時に投石開始!また、破城槌も前進!。

オナガー部隊によって、城壁の破壊に成功!・・・一方、敵の火矢を浴びた破城槌は不運にも燃え始め、破壊されてしまった。よって、破壊した壁から敵を切り崩す。まず騎兵が先陣を切り突入をしかける。騎兵で敵防衛部隊を散々に蹴散らした後は、歩兵部隊を投入。街の中心部を抑え、勝利が確定した(「アルサキア」占領、その2年後「スーサ」の街も陥落)。

  

Rome15_2_2

 

 

              変人 vs 冷血漢

さて、ガリア地方では・・・。ガリアを滅亡に導いた先の「アレシアの戦い」で一気に名を上げた変人こと”セクンドゥス”!彼の活躍は留まるところを知らない。B.C.112。変人”セクンドゥス”は、「コンダテ・レドヌムの戦い」にてスペイン軍2100人を殲滅。「コンダテ・レドヌム」の占領に成功。

 

 Rome15_2_4

 

              

               変人 vs 無名

そのわずか1年後、変人率いるローマ軍は、スペインの最後の砦「サマロブラヴァ」へ向け、休むことなく進軍を続ける。B.C.111。砦から出撃してきたスペイン軍2100人と国境付近で衝突。全軍士気マイナス3というハンデを負いながらも、見事圧勝。討ち取った敵の数は1500名にも及んだ。

 

   Rome15_2_5  

 

              

               変人 vs 無名

先の戦いで失ったローマ兵はわずか90名ということもあり、「コンダテ・レドヌム」へ引き帰すことなく、そのまま「サマロブラヴァ」へ向かう。B.C.110、変人”セクンドゥス”の奮闘により、「サマロブラヴァ」のスペイン軍は全滅。これで、スペインは滅亡した・・・。

 

Rome15_2_6

 

 

                    変人 vs 過労

半年後、セクンドゥス”は「サマロブラヴァ」で没する。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~

Rome15_4  

 

 

 

 

 

 

 

スペインも滅んだため、あとは、ブリタニアを残すのみ。ブリタニア本土には、船での上陸が必要となる。さっそく船の建造に着手する。

 

B.C.103年。ブリタニア征服のため、「サマロブラヴァ」の港からブリタニア本土に向け出航。目指すは「ロンディニウム」(現在のロンドン)付近の河口。

Rome16_1しかし、そこはにはすでにブリタニア軍が陣を敷いており、両軍、川を挟んでの対峙となった。(ローマ軍2900人、ブリタニア軍1700人

 

 

 

この状況は、過去の「マッシリア近郊の戦い」を思い出す。橋を渡るスペイン軍2000人を地の利を活かして全滅させた戦いだ。しかし、今回、橋を渡るのはローマ側。不利な展開になることは身をもってしっているため、容易に橋は渡れない・・・。ここは、ゴリ押しではなく戦術を使って切り抜けよう。

 

Rome16_2_2

まず先鋒は、ローマ弓兵。

「Archers、draw!」

ローマ弓兵1000人を川岸に並べ、対岸へ向かって一斉に矢を放つ!!

 

対岸にはブリタニアの飛び道具部隊(首投げ部隊)がいたが、ローマ弓兵の放った矢に驚き、被害拡大を恐れてか岸から離れていく。(ちなみにこの生首を手に抱えている部隊は、槍でも石でもなく、「首」を投げてくる。これを食らった部隊は、恐怖に駆られ戦意が下がってしまう、なんともキモ恐ろしい部隊だ

Rome16_3_2ブリタニアの「首投げ部隊」を退けると、次にローマ弓兵に着火を命令。

「Archers、ignite!」

今度は敵の戦車部隊と闘犬部隊へ向かって射撃させる!(同時に、オナガー部隊による火炎瓶攻撃も開始

これにより、火を浴びた馬や犬が狼狽を始めた。「火矢」は射撃準備時間が長い分、馬や犬などの動物に対して絶大な効果がある。

 

機熟す!!

Rome16_4_2Rome16_5_2

 

 

 

 

歩兵部隊、騎兵部隊に全速で渡河するよう命じた!一部の部隊には、上流の浅瀬を渡河させ、敵の側面を突かせる。

 

Rome16_6 

 

 

 

 

 

 

 

 

本軍の渡河は無事成功し、ここで同士討ちが発生しないよう、弓部隊とオナガー部隊に射撃を中止させた。橋を渡ったところで、慌ててブリタニアの歩兵が突撃してくるが、時すでに遅し。ローマ歩兵の戦闘態勢はすでに整っており、散々に討ち取られて壊走し始めた。

 

Rome16_7_2 この時、川の上流を渡河していた部隊もようやく川岸へ上陸。付近に残る敵を殲滅した後、下流にいる本体に合流するため、側面から一斉に突撃!!

・・・・これで勝負あり!

Rome16_9  

 

 

 

 

 

 

 

 

 「Retreat!!」

ブリタニアの残軍1000人は、全軍退却を開始。だが、ここで逃がすわけにはいかない!ローマ騎兵がこれを追走し、ほとんどのブリタニア軍を討ち取った。

 

Rome16_10_2_2こちらの被害はわずか24人、不利な状況から戦ったとは思えないほどの圧勝となった。過去最大の勝利である。

 

ほとんどの兵をこの戦いで失ったブリタニアは、一気に勢力が衰え、B.C.102、ローマ軍は簡単に「ロンディニウム」、「エブラクム」を立て続けに占領した。

(・・・次回こそ本当にラスト・・・のはずです)

|

2008年9月28日 (日)

「ローマ トータルウォー」 キャンペーン日記(最終章)

             ★ゲームクリア?★

Rome16_3_2  

 

 

 

B.C.100、最後のブリタニア領地「テヴァ」を占領し、ブリタニアが滅亡。それと同時に、クリア条件である「都市を50以上支配する」も達成できた!ヽ(´▽`)/

これで、ようやくゲームクリアかと思いきや・・・、何もイベントが起きない!!

 

「もうすでにローマ皇帝になっているのではないでしょうか?」

「・・・い、いえ、そのようには思えませんが・・・?」 

 

なんと!この状況は、ドラゴンボールを7つ集めて何も起きなかった”ふりーざさま”と同じ状況ではないかぁ!

何か条件があるのか?それとも、あと114年待たないといけないのか?まさか合言葉がいるんじゃないだろうな!?

・・・う~ん!分からん・・・。もう、どうでも良くなってきたので、クリア!!

            えぇぇ~!shock

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

とりあえず本編も終了。さっさと拡張パックの「バーバリアン インヴェイジョン」のプレイ日記にとりかかりますw

|